スペシャル対談 様々な人とつながり、
今がある。

100th

特別対談 100年企業が目指す
継承と変革

創業100周年を記念し、五十川社長と辛坊治郎氏の対談を実施。
外部から見た新明和グループ、受け継がれてきたこと、未来への展望などについて語り合いました。

PROFILE
  • 辛坊 治郎Jiro SHINBO

    1956年鳥取県生まれ。元読売テレビアナウンサー。情報番組のプロデューサーや報道局解説委員長などを歴任し、現在はシンクタンクである大阪綜合研究所の代表を務めるとともに、ニュースキャスターとしても活躍している。

  • 取締役社長 五十川 龍之Tatsuyuki ISOGAWA
INDEX
  1. 細部のたたずまいから見える姿勢
  2. モノづくりへの情熱で紡いだ100年
  3. 新たな価値創出
  4. 関西における新明和への期待
  5. “誰か”の人生を支える仕事
スペシャル対談

細部の
たたずまいから見える
新明和の姿勢

  • 辛 坊

     このたびは、創業100周年を迎えられたそうで、誠におめでとうございます。1世紀もの間、続いてきたとは、言葉で言うのは容易なことですが、すごいことです。人間の命には限りがありますが、企業の命は、常に息吹を注いでいれば、限界はない、ということですね。
     私自身、新明和のことはもちろん知っていましたが、本社に伺うのは今回が初めてです。第一印象となる正門のアプローチから玄関、植木の状態など、各々のたたずまいがとても美しく、「この会社がつくっている製品なら大丈夫、信頼できる」と思わせる〝何か〞を感じました。これまで培ってこられた御社のモノづくりへの真摯な姿勢が、こうした部分にも表れているようです。

  • 五十川

     お褒めいただきありがとうございます。
     このたび、無事に創業100周年を迎えられたのは、数えきれない困難を乗り越え、当社グループの発展に寄与してこられた先輩方や、日々、真摯に事業活動に取り組んでいる現役社員、そしてお客さまをはじめ当社を支えてくださっている全ての皆さまのおかげと、心から感謝しています。

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モノづくりへの
情熱で紡いだ100年

  • 辛 坊

    御社の前身は、川西航空機と伺っていますが、どのようないきさつで創業した会社なのでしょうか。

  • 五十川

     前身は川西航空機ですが、これ以前の1920年に川西機械製作所を創設し、同社の一部門として「飛行機部」を開設したときから当社の歴史は始まっています。実は、1918年に、日本初の航空機メーカー「日本飛行機製作所」を創設したうちの一人が、川西航空機の生みの親である川西清兵衛でした。共同創設者間の意見の相違から、ほどなくして日本飛行機製作所は解散し、川西清兵衛が新たに創設したのが川西機械製作所でした。同社は、引き上げた工作機械等を活用して、紡績機械の製造を開始しましたが、当時の航空機技術者やパイロットが、「もう一度、自分たちの手で航空機をつくらせてほしい」と会社に懇願し、清兵衛がこれを認め、ここから独自の設計・製造に着手しました。この、「執着心」こそが、当社が100年の歴史を紡いでこられた源流であり、今後も受け継いでいきたい大切なDNAでもあります。
     この後、飛行機部を分離して川西航空機となり、日本は軍政時代に突入します。海軍の「九七式飛行艇」やその後継の「二式飛行艇」、そして「紫電」「紫電改」といった数々の名機を生み出したこのころが、当社の創業期にあたります。

  • 辛 坊

    確かに、川西航空機時代は数々の名機が生まれていますよね。「二式飛行艇」は、子どものころ、プラモデルをつくった思い出があります。

  • 五十川

    五十川 戦後、アメリカ軍がその「二式飛行艇」を研究用として持ち帰り、母国の同型機と性能を比較したところ、川西製の圧倒的な性能の高さに驚いたそうで、ここで川西航空機の技術力が周知されたことが、後に、当社が飛行艇を開発する際にアメリカ海軍が技術援助の手をさしのべることにつながったと聞いています。
     コンピューターも計算機もない時代に、当時の技術者が昼夜問わず計算を繰り返し、開発に没頭していた姿を想像してしまいます。戦時中の混乱期に、これだけ多くの優れた機体を世に送り出すことができたのは、並外れた設計力と製造力、そして執念があったからこそだと思います。

  • 辛 坊

    御社は、創業期からすばらしい技術を有していたんですね。技術力を示す製品として「飛行機」はうってつけだと思うのですが、なぜ、その後の社名には〝航空機〞を付けなかったのでしょうか。

  • 五十川

    終戦とともに、国内では航空機の製造が禁止されてしまいました。心機一転、生き残りをかけ、「明るく和する」という思いを込めた社名にしようと「明和興業」に改称し、その2年後に「新明和興業※ 1960年に「新明和工業」に改称」を設立しました。
     当時の先輩方は、会社存続のために、なりふり構わずさまざまな製品やサービスを世に送り出しつつも、次の時代を目指す準備を怠りませんでした。アメリカ軍の車両を整備したことがきっかけで、ダンプトラックの架装事業の将来性に着目し、覚悟をもって独自で製品化に取り組んだことが、今の特装車事業の起点となりました。
     高度経済成長期には、豊富なモノづくり力を生かして自吸式ポンプや自動電線処理機を開発、これが産機システムや流体事業の原点です。特装車は、今では大半の製品でトップシェアを誇る国内最大級の架装メーカーへと成長を遂げ、水中ポンプは下水道分野で広く普及し、日本の生活環境保全に貢献しています。そして、自動電線処理機は、その高速・高精度な加工技術が認められ、東南アジアをはじめ世界中で活躍しています。

  • 辛 坊

    街中で、ダンプトラックや塵芥車をよく見かけますが、その半分以上が新明和でつくられているのですね。航空機を製造していながら、「特装車」という、車全体ではなく「架装」事業というパーツ製造に着目したのは意外でしたが、現在、トップシェアを誇る事業に成長していることから、先見の明があったのですね。

  • 五十川

    そうですね。そして、1952年、待ちに待った航空機製造が国内で解禁となり、その翌年に早くも荒海での離着水が可能な、高耐波性の飛行艇の開発に着手し、航空機事業を再開しました。これに続いて、60年代には機械式駐車設備や航空旅客搭乗橋なども創出しています。こうして、社会のニーズに応える過程で、現在の主力事業の礎が築かれました。

  • 辛 坊

    辛 坊 実は、私が「新明和」と聞いてまず思い浮かぶ製品が、空港に設置されている航空旅客搭乗橋でした。しかし、社長のお話を伺って、私が知らない製品も多岐にわたって手掛けられていることが分かりました。
     そして、終戦後の結構早い段階で、再び航空機の製造が認められたことにも驚きました。その飛行艇の開発が、現在運用されている、あの「US-2型救難飛行艇(以下、US-2)」につながってるのですね。
     13年6月、ヨットで太平洋横断中に遭難した私を海上自衛隊の方が救助してくれたときに搭乗したのが「US-2」でした。この機体のおかげで、私はこうして生き延びることができ、そのご縁があって、今日、こうして社長と対談しています。

  • 五十川

    本当に、お会いできて光栄です。飛行艇の海上遭難救助件数は、「US-1」の累計実績を加えると1,000件を超えており、離島の患者搬送を含め、さまざまな人命救助の場面で貢献しています。今後は、消防飛行艇への用途拡大など、この機体の特性を生かせる活躍の場を広げていきたいと思っています。

新たな価値創出で
お客さまに感動を

  • 辛 坊

     御社を訪問したときの第一印象、そして救助してもらった「US-2」の機体などから、私は、新明和に対して、とても堅実で、〝石橋をたたいて渡る〞会社、といったイメージがあります。だからこそ、安定経営の上に100周年が迎えられたのだと思います。
     これからの100年を考えたとき、社会は想像を超える変化の中にあるでしょうが、その中にあって、現在の堅実なイメージの延長線上をいくのか、あるいは従来とは異なる分野で飛躍を目指される、どちらでしょうか。いずれの方向に進まれるのか楽しみですが、今後、〝6つ目の事業〞は生まれそうですか。

  • 五十川

    五十川  まずは、現在の5つの事業の拡大が大前提となります。現在推進中の中期経営計画では、①AI、IoTなどの技術を駆使し、「モノ」から「コト」に移行した新たなサービスを事業として展開する、②海外事業拡大、③M&Aや業務提携などアライアンスの強化 の3項に、特に注力して取り組んでいます。
     お客さまに感動していただける製品・サービスを提供し続けることで社会に貢献し、新明和グループの業容を今よりもっと大きく伸ばしていきたいと思います。
     100年もの間、当社が存続してこれたのは、時代に即し、高度な設計・製造技術力を駆使して製品を進化させてきたこと、そして作業の正確さと品質の高さ、社員の勤勉さ・真面目さが受け継がれ、お客さまの要望に応え続けてきたからこそだと強く思っています。これからの時代を想像するのは容易なことではありませんが、メーカーとして、当社の根底にある「モノづくりへの思い」については執着心をもって、ずっと大切にしていきたいですね。

  • 辛 坊

    世の中でいくらIT化やデジタル化が進んでも、人の手が必要な作業は必ず残ります。将来的にあらゆる場面で自動化が進んだとしても、ITでできること・人間が関わらないといけないことが共に存在する限り、この〝接点〞の部分に、新たなビジネスの可能性があるように思いました。

  • 五十川

    既存の製品にITを融合した、例えば塵芥車の巻き込まれ被害軽減装置や航空旅客搭乗橋の機体への自動装着システムなど、お客さまの利便性や安全性を高めるサービスを創出していますが、デジタル技術の進化により、私たちの生活やそれを取り巻く社会はどんどん変化しています。そうした世の中においても、持続的に成長していくには、お客さまに〝当社グループならでは〞と認めていただける新たな価値提供をしていかなければならないと思っています。

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活性化する関西と
関西地盤企業としての
新明和への期待

  • 辛 坊

    辛 坊  最近、関西地域の復権を実感しています。1970年に大阪府で日本万国博覧会(大阪万博)が開催された直後は、大阪府の転入企業数と転出企業数を比べると、転入企業の方が多かったのですが、1982年以降は転出企業数が転入を上回り、その差は徐々に広がっていきました。それが、久方ぶりに、逆転する可能性が出てきたのです。今年あたり、逆転するかもしれません。19年度上半期は、20〜30代といった若手の転入人口も大きく増加しています。これは、大阪に若手の「働き先」がある、という証拠ですね。
     このように、関西地域に〝良い風〞が吹き始めているので、御社には、関西を地盤とする企業としての力と誇りを示してほしいですね。 関西地域の活性化をけん引するトピックとして、25年の「大阪万博」開催があります。技術は日進月歩で劇的に進化しており、倫理面の課題を残しつつも、技術レベルでは、すでに〝立体臓器〞をつくることも可能、といった、かつてSF に描かれていたような話が現実味を帯びています。次回の「大阪万博」は、正に人類史におけるターニングポイントになるかもしれません。新明和の技術力も含めて、ここから〝関西の力〞を世界に発信できる機会になると信じています。

  • 五十川

     ご期待に応えるためにも、当社グループの良さを後進に受け継ぎつつ、時代に即した企業へと変革していきたいと思います。

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“誰か”の人生を支える
新明和グループの仕事

  • 辛 坊

    改めて、御社は、私にとってかけがえのない会社です。私が今、こうして五十川社長とお話ができるのも、「US - 2」があったおかげです。後日、「US- 2」は相当な数のサプライヤーと、それをカタチにしていく御社の技術力があって成り立っていると伺いました。その中の一つでも欠けていたら、私は助かっていなかったかもしれません。この時の経験から、「この世の中で、自分の人生は一人のものではなく、他の誰かの人生とオーバーラップしていて、みんな、どこかでつながっている」ということを強く実感するようになりました。「お互いさま」ということですね。飛行艇をつくるには、人手も時間も相当かかり、決してもうかる事業ではないのではと思います。でも、先ほど伺ったとおり、これまで1,000 件を超える人命を救助した、という素晴らしい功績がこの機体にはあるわけです。そんな製品は、周囲を探して簡単に見つかるものではありません。そして、その機体を運用する海上自衛隊の皆さんの技量にも、本当に頭が下がりました。荒波に着水した状態で、救助する人をゴムボートで機体まで搬送する、というのは、まさに命がけの行為なのです。その機体の運用が脈々と現在まで続いていることが、国民の一人として誇りに思います。翻って、この事業を継続してこられたのは、特装車、産機システム、流体、パーキングシステム、そして航空機の中でも民間機製造などがこれを支えてきたから、ではないでしょうか。つまり、新明和は、5つの事業が、それぞれの使命をきちんと果たしているからこその100 年企業なのだと思っています。ですから、あ辛 坊の時私が助かったのは、新明和グループで働く皆さんのおかげなのです。いつか、新明和グループの皆さん一人一人に感謝の気持ちを伝えたいと思っていたところ、この対談の機会をいただき、とてもありがたいチャンスだと思いました。
     皆さん、本当にありがとうございました。改めて御礼を申し上げます。
     新明和で働く皆さんの仕事は、周囲にいる誰か、皆さんが会ったことのない誰かの生活や仕事、人生を支えている、ということを忘れず、これからも仕事に取り組んでいただきたいと思います。

  • 五十川

     ありがとうございます。辛坊さんのおっしゃる通り、先輩方が築き上げてきた歴史とそれを支えてくださったすべての皆さまへの感謝の気持ちをチカラに変えて、新明和グループで働く一人一人の社員がそれぞれの役割を果たすことで、これからも世の中の人々の安心や幸福に貢献できると、私は信じています。先程、辛坊さんからいただいた言葉は、当社の全社員の心に深く刻まれることと思います。
     本日は、どうもありがとうございました。

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