飛行艇開発ストーリー

US-1/US-1A 水陸両用の飛行艇(開発機体名称 PS-1改)

当社にとって、待望の量産機となったPS-1でしたが、同機は着水してソナー(水中音波探知機)を使う対潜哨戒機でした。その能力が当初の思惑まで上がらなかったことと、技術発展とともに航空機にレーダーを装備することが可能となり、対潜哨戒機としての飛行艇が不要となり、その任務はP-3Cに譲ることが決定され、1980年9月には、防衛庁からPS-1の後続機発注の打ち切りが正式に通知されました。
PS-1の生産が打ち切られる前に、当社では「救難」を目的とした、水陸両用の飛行艇開発に着目し、構想をまとめていました。そして1973年3月、PS-1を母機として改良開発を行う、水陸両用飛行艇第一号機を防衛庁から受注し、飛行艇製造の道をつなぎとめることができたのです。
救急搬送には、陸上への着陸が必須であり、そのために「脚」を取り付けることが最も重要な開発でした。最終的に胴体の外側にバルジ(覆い)をつけ、その中に収納する位置に決定しましたが、これは、脚の形状や取り付け部分について数十に及ぶ案を検討し、実証実験を何度も繰り返して導き出した結果でした。
1974年10月には、初飛行に成功し、海上と陸上のいずれからも離発着が可能な飛行艇を完成。1975年3月に、「US-1型救難飛行艇」として一号機を防衛庁に納入しました。納入時には、防衛庁や会社関係者が甲南工場の南エプロンから手を振って見送り、機長はそれに応えるかのようにUS-1の最大の特長であり、かつ苦労の結晶である「脚」を下ろしてエプロン上空で低空飛行した後に岩国航空基地へと向かったというエピソードが残っています。
国内初の水陸両用の飛行艇は、船よりも早く海難現場へ急行し、遭難者を捜索・発見し、着水して直接救助作業を行うことを任務としたもので、US-1の完成を受けて1976年7月に海上自衛隊の救難飛行艇部隊である「第71航空隊」が新編されました。US-1の初出動は、1976年7月12日、房総半島沖の太平洋上にてギリシャ船の船員が負傷したことを受け、その救助に急行したことでした。
1981年には7号機となる機体のエンジン出力をパワーアップし、以後、「US-1A型救難飛行艇」に改称しました。その後も改良を加えながら、2004年までに20機を防衛庁に納めました。

写真:US-1 脚のモックアップ

US-1 脚のモックアップ

写真:PS-1改 救難飛行艇の内部

PS-1改 救難飛行艇の内部

写真:US-1(1号機)と関係者

US-1(1号機)と関係者

写真:離陸するUS-1(1号機)

離陸するUS-1(1号機)

写真:飛行中のPS-1(1号機)とUS-1(1号機)

飛行中のPS-1(1号機)とUS-1(1号機)